どーも風紀委員のマグニンです。
最近はオリンピックの話題が増えてニュースで取り扱うことも多くなってきましたよね。
ニュースを見ていてよく思うのはアナウンサーが「東京オリンピック パラリンピックでは・・・」など繋げてパラリンピックを言うのが増えてきて気になるってきました。
10年ほど前はまとめてオリンピックと言っていたような気がしていますが、障害者の人権保護団体の言葉狩りなのか繋げて言うことが多くなりましたよね。
まとめてオリンピックでいいのでは?
一般的にオリンピックっていうときに別に障害者をないがしろにしているわけでも差別しているわけでもありませんよね。
アイドルのakb48というときはakb48の単体としての呼び名と、ske48やnmb48を含むakb48グループ全体を差すことがあるようにオリンピックもいちいちパラリンピックを後に付けるのではなくパラリンピックを含めたものを「オリンピック」という名詞にしてもいいようなきがします。
いちいちアナウンサーがパラリンピックまで言うのは、ただ単にメンドクサイしそこまで言わなきゃいけないの?と思ってしまいますよね。
厳しい言葉狩りは誰のため?
こういった言動には激しい言葉狩りは面倒ですよね。
今の日本では特にSNSなどですぐ炎上したりするので特に大きいスポンサーを持つテレビ局などは神経をかなり使っていると思います。
こういった場合に厄介なのはマイノリティー側、今回は障害者が声を上げているわけではなく障害者の支援団体が声を上げていることが多いことですよね。
特に今回のようなどうでもいいこと(僕の感想)に関しては本来被差別者である障害者はなんとも思っていないことが多いです。
そういった面倒な支援団体はあらゆる金を引っ張るために声をどうでもいいことに声を上げる面倒な生き物ですよね。
障害者本人の感情を無視して支援団体VSメディアになっているのは、イライラを通り越して滑稽にも映ってしまいますよねww
まともな人なら気にならないようなことにも声を上げるのは障害者はおろか誰のためにもなっていません。
おわりに
確かに昔の時代は障害者や精神病やLGBTなどへの理解も乏しく差別が強い時代もあったと思いますし、差別がなくなるのはいいことだと思います。
でも現代では今までの差別的な時代からの反動か、マイノリティーが強い時代になったと言えるような時代になりましたね。
しかし行き過ぎた言論統制や言葉狩りは面倒だし、逆に生きづらさを感じてしまいそうです。
くだらない差別を問題にできるほど平和な時代になったと考えたほうが精神的にも楽かもしれませんね!
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